石の裏のダンゴムシ

みんなの安全基地。生きづらさを感じている人のための居場所です。

私の生きづらさ ― powerさん①

 

こんにちは、つっきーです。

以前このブログで、ダンゴムシ参加者の方に自身の「生きづらさ」について書いてもらえたらなーってことを言いました。そこでとりあえず運営メンバー内で話してみたら、ありがたいことに書いてもらうことができました。

というわけで今回は運営メンバーのひとりで、会の発足当初から参加しているpowerさんが抱える「生きづらさ」についてです。結構な量を書いてもらえたので、3回に分けてご紹介していきたいと思います。来週のブログは8月会の告知になりますので、今回の続きは再来週の更新になる予定です。お楽しみに。

 

 

――――― 以下、powerさんからの寄稿です ―――――

 

こんにちは、powerと申します。この会の創設から関わり、2年間ほどこの会に参加してきました。今回は生きづらさをテーマに自分の経験をもとに考えていきたいと思います。

生きづらさを感じない日はありませんが、いざあなたの生きづらさはなんですかと聞かれるとうまく答えることができません。生きづらさといっても人によって違い、そして同じ人にも様々な生きづらさが複雑に絡み合っている場合が多く、生きづらさを語ることはとても難しいことだと思います。

今回は自分の経験からどういうときに生きづらさを感じたかを振り返って生きづらさについて考えていきたいと思います。自分のいままでの生きづらさをまとめていたらとても長くなってしまったので興味のある方だけ読んでみてください。

 

どうせ死んでしまう

昔から『どうせ死んでしまうのにどうして生きるのか』ということを漠然と思っていた。別に親から虐待を受けたり、壮絶ないじめをうけたこともない。しかしなにをしてても、それが楽しいことをしているときでさえ、脳裏にどうせ死んでしまうという思いがどこかにあった。そのために物事に没頭できなくてなんともいえない虚しさみたいなものを感じることが多かった。

とくにこの気持ちが強くなってきたのは大学3年生の就職活動が始まったときだった。周りはあんなに明るかった髪を黒に染めて、リクルートスーツに身を包み、どこの企業の説明会に行っただの、面接はどうでとかそんな話を急にするようになった。自分は全くそういった話題についていけずに自分がこれから仕事につくということが全くイメージできずにいた。説明会には何回か参加したが、自分はなぜこの企業でこの商品を売ったりしなければいけないのかあまりの必然性のなさに全くピンとこなかった。

どうしてみんなはどうせ死んでしまうのに辛い就職活動をして面接をして、辛い仕事について毎日頑張れるのだろうか。どんなにいい年収で稼ぎがよく、どんなに素晴らしい相手と結婚し、どんなに素晴らしいマイホームを手に入れても結局は最後には死んでしまう。そもそも生まれてきた事自体をあまり肯定的にとらえておらず、そしてその中で更に辛い労働をしなくてばならないというのが自分のなかではどうしても納得できなかった。

どうせ死んでしまうならできるだけ苦痛を最小限にして頑張らずに生きていたいと自分は考えていた。どうせ死ぬのだからすべては無意味だというのはとても短絡的で偏った考えだということはわかる。しかしどうせ死んでしまうという厳然たる事実を目の前にするとなにもする気力がわかなくなってしまった。いま思えば就職活動をやりたくない、どうにかして避けたいという思いが『どうせ死んでしまう』という短絡的な思考を産んだのではないかと思う。ではどうしてこんな発想にいたるまで就職活動がいやだったのだろうか。

 

面接が怖い

自分にとって就職活動をしたくない一番の理由は面接が怖いということだった。自分にとってはお化け屋敷やジェットコースターなんかよりも面接のほうが何十倍も恐ろしい。面接という自分をいかによく見せて相手に売り込み、それを人によって評価されるというのが非常に恐ろしかった。

まず自分のことを価値あるものと思っていないため、それを相手にいかにも価値があるように見せるというのが相手を騙しているようで申し訳なくなってしまう。謙虚とか謙遜とかそんな言葉でなく、本当に心の底から申し訳ない、消えていなくなりたいという気持ちになってしまう。それに相手を騙しているのはもちろんのこと一番つらいのは自分を騙しているということだ。自分が思ってもいないことを口に出すということがどうしても許せなかった。

変に頑固で真面目なところがあるために、適当な言葉でごまかしたり、ありもしないことを盛って話したり捏造して話すということが自分にはどうしてもできなかった。もしそれができたとしても本当に心から思っていっていないのでどうしても嘘くささや不自然さを感じてしまい、自己不全感が募り死にたくなってしまう。こんなことをいうとそんなのは甘えだとか、ストレス耐性がないだとか、こんなこともできないのなら社会に出れないとお叱りを受けるだろう。しかし自分にとってはこの面接という行為が死活問題であり、自分の人生を棒にふってでもどうしても回避したかった。

いままでの大学入試までは試験は学力だけが問われ、人間性やコミュニケーション能力といったものは問われなかった。就職活動ではまわりとうまくコミュニケーションをとりながら協調性を求められ、相手がなにを臨んでいるか、自分がどう思っているかをうまく言葉にして喋らなくてはいけない。こういった人間としての総合力を問われる面接という場所は自分にとっては戦場のように恐ろしかった。

自分の無能さやコミュニケーション能力のなさが露呈してそれをみんなに見られるというのが恐ろしくてたまらない。特にグループ面接で人数が多く、人に見られて注目されていると思うだけで汗が吹き出して動機が激しくなってしまう。もともと変に完璧主義なところがあって少しでも低い評価を下されて傷つくことが昔からとても嫌だった。面接なんて落ちてもその面接官とは一生会わないよと気休めで言われるが、自分の完璧な理想像が少しでも壊れることが恐ろしく許せなかった。

結局説明会にいったりはしてみたものの、一度も面接を受けることもなく就職活動を放棄してしまった。世間では面接に何度も落ちて、圧迫面接で人格否定されて辛くなって自殺してしまう若者の話を聞くが、自分はそもそも就職活動という舞台にすらあがることができなかった。

 

――――― 次回「休学そしてカウンセリング」に続きます ―――――

 

 

以上、つっきーでした。
それでは次回更新をお楽しみに。

 

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