石の裏のダンゴムシ

みんなの安全基地。生きづらさを感じている人のための居場所です。

私の生きづらさ ― powerさん③

 

こんにちは、つっきーです。

明日はダンゴムシです。ここ数日は暑さが戻ってきたようですが、天気予報では明日はここ数日と比べるとすこし暑さも和らぐようです。みなさんはこの暑さで体調崩したりしていませんか?

さて、今日は先週に引き続きpowerさんの生きづらさについて、powerさんに寄稿していただいたものをご紹介したいと思います。全3回のラストです。それでは、どうぞ。

 

 

――――― 以下、powerさんからの寄稿です ―――――


正社員

晴れて正社員となりやっと親の目からも解放されて将来に対する漠然とした不安からも解放されたかのように思えた。しかしそんな甘くはなく正社員になったら今度は別の生きづらさが顔を出し始めた。初めてのオフィスはせまいところに机が向かい合わせに並んでいて常に人の視線を感じるつくりになっていた。自分は人に喋っていることを聞かれていたり、見られているのを感じると緊張してしまいパフォーマンスが一気に落ちてしまう。オフィスにいるときは常に誰かの視線に怯え、ミスを指摘されるのではないかと気を張っているのでめちゃくちゃ疲れる。そして初めての電話対応ではまず相手がなにをいっているかわからない。そしてそれをうまく聞き返すコミュニケーション能力もない。結局返す言葉が見つからず黙ってしまいお互い困惑するということは何度もあった。取り次ぐ先を間違えたり、相手の名前がわからないいまま取り次ぐことも多々あった。

自分の場合喋る言葉を検索するのにとても時間がかかるので、普通にスラスラと電話で会話している人はすごいなと思う。会社内の雑談でさえもうまく入っていくことができない。ひたすら引きつった笑顔でヘラヘラしながらうなずいているだけで傍から見たら気持ち悪いと思う。上司に聞きたいことがあってもなかなか忙しそうで聞くタイミングを逃したり、聞くのが面倒で勝手に進めて怒られるなんてこともしょっちゅうある。相手の言っていることを理解するのにも時間がかかるし、急に何かを聞かれたりするとキョドって意味不明な回答をしてしまう。いままで大学やフリーター時代はそこまでコミュニケーション能力のなさが露呈することはなかったが正社員になって次々と自分のだめなところが顕になってきている。と正社員になってからはこんな感じで毎日自分のダメさと格闘している。

仕事へ行くと1日に何回も自分のできの悪さやコミュニケーション能力のなさに絶望する。何回朝を迎えようと、仕事の日の朝は憂鬱で何もかも投げ出してしまいたくなる。Twitterで仕事を辞めたい人たちをフォローして、仕事前の朝の絶望ツイートをみることで勇気をもらってなんとか自分も出勤する。出勤してからは家にかえることをひたすら考えながら、時間がすぎるのをひたすら待ち続ける。家に帰ってからは疲れ果て、すぐに風呂に入り泥のように眠る。そして昨日と同じように絶望の朝を迎える・・・・。

なんだか救いがないように見えるが、それでもフリーターのときや休学してたころのように家でひたすら悶々と悩んでいたときに比べれば少しはマシな気がする。正社員になって休みの日に罪悪感も感じなくなったし、休みが貴重なので休みを有意義に使うようになった。なんといってもあのひどい昼夜逆転した生活リズムが一気に治ったのは良かった。

結局ニートでもフリーターでも正社員でも悩みは尽きないし、それぞれにいいところと悪いところがある。それならもういまのままでいいかなぁなんて半ばあきらめたような感じで生きている。とりあえず精神が壊れないぐらいまで続けてみてそれでもダメそうだったらまたコンビニのバイトに戻ろうというぐらいの感じで、やれるとこまではやってみようと今は思っている。

 

生きづらさとともに

大学生の頃はフリーターになれば自由に好きな時間におきて自分の好きなことに時間をたくさん使えると思っていた。そしてフリーターになってからは自分が努力もなにもしていないことへの罪悪感や、親からの目や世間体といったものに苦しんだ。次は正社員になればこの苦しみから解放されると思って正社員になった。しかし毎日自分のコミュニケーション能力のなさ、社会人としての自覚の無さ、仕事で自分の無能さが徐々に露呈していくことに苦しむようになってきた。ここまできてようやく理解した。結局環境が変われば生きづらさから解放されるというのは幻想にすぎなかった。おそらく自分は一生生きづらさを克服なんてできないんだ。どこにいっても常に生きづらさと向き合って生きていかなくてはならないのだと悟った。

しかしこのことに気づいて妙に諦めがついたというか、覚悟が決まったような気がした。たぶん大事なことは生きづらさとを異質なものとして排除するのではなく、ともに生きづらさと共存していくというということなのではないだろうか。そして生きづらさとともに生きていく上でなによりも大事なのはこの生きづらさを共有する事ができる仲間だと思う。生きづらさは形は違えど他の人も持っているんだと思うことができれば安心するし、普段言えないことを堂々と言うことができればなんとかこの生きづらい世の中でもかろうじて生きることができる。

この会に参加すると最初はみんな生きづらさをどうやったら克服できるかを懸命に考えるのだが、不思議とこういった会で仲間ができ、うまくコミュニケーションができるようになると自然と生きづらさから脱することができる人が多い。このダンゴムシの会を始めて何人もの生きづらさを抱える人達と出会ってきて、みな抱える生きづらさは違えど、根底にある原因というのはみんな同じではないかと回を重ねるうちに感じるようになってきた。生きづらさを一言でまとめるなんておこがましいが、結局のところ生きづらさの根源的な原因は『自分に価値を感じることができない』ということに繋がっていくのではないだろうか。

ではなぜ自分に価値を感じることができないのだろうか。それはおそらく他者とうまくコミュニケーションができない、もしくはうまくコミュニケーションをするために自分を抑圧しているからではないかと思う。人はおそらく人とコミュニケーションをとることで自分の存在する意味を見出すように遺伝子レベルで設計されているんだと思う。人とコミュニケーションをとることで初めて自分がこの世に存在してていいのだと自分の価値を感じることができる。みんなと喋るよりも家で一人でいるほうがいいっていう人もいるだろうけども、それはただそのほうが楽であって決して楽しいわけではないと思う。抑圧せずに自分の話したいことをそのまま話せるのであれば、コミュニケーションをしたくないなんて人はいないのではないだろうか。

なので生きづらさを抱えている人には学校や職場ではいえないことも、ここでなら人の顔色を伺わずに、意見も否定されることもなく聞いてもらえるような安心してコミュニケーションをとれる安全基地のような場所が必要なんだと思う。こうした安全基地があることでなんとかこの生きづらい世の中に飛び込んでいくことができる。どんなに外の世界でぼろぼろになって辛くても、ここに帰ってくれば仲間がいる。もし仕事をやめたり、ニートになったりフリーターになっていわゆる一般的なレールから外れても、ここではそんな社会的な評価ではなくひとりの人間としてお互いを認めていく。

そんな安全基地を目指して、これからもこのダンゴムシの会をよりよくしていきたいと思っている。もしあなたが生きづらさに悩んでいて安全基地を求めているのであれば一度この会に参加してみてはいかがだろうか。

 

――――― 寄稿(全3回)は以上になります ―――――

 

 

お知らせ

明日27日開催のダンゴムシの会、参加希望の受付を締め切らせていただきます。来月もまたよろしくお願い致します。

 

 

以上、つっきーでした。
それでは次回更新をお楽しみに。

 

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