石の裏のダンゴムシ

みんなの安全基地。生きづらさを感じている人のための居場所です。

話を聴くということ。

 

こんにちは、つっきーです。

空気はジメジメ、肌はベタベタ、とまぁぼく的には嫌な季節です。さすがに髪の毛を切らなくてはと思いつつ、唐突に目の横にできたニキビらしきものを気にして切りに行けない今日この頃です。

さて、今日のブログでは「話を聴く」ということに注目して、ちょっと考えてみたことを書きたいと思います。いちおう運営雑記にカテゴライズしておきます。笑

 

話を聴いてほしいという思い

いまさら改めて言うことでもないのですが、ダンゴムシの会は「みんなの安全基地」として、自分が抱えている生きづらさについて話せる場所であり、それを聴いてもらえる場所です。毎月1回、生きづらさを抱えている人たちが集まって、顔を合わせて語り合っているのはそのためです。

初めて参加する方は特に、「話したい」「聴いてもらいたい」という思いが強いでしょう。それまで周囲に話せなかった、苦しくてつらい思いなどを打ち明けたいという切実な思いがあって、不安や緊張を抱えながらも勇気を出して参加してきてくれるのだと思っています。

相手の話を「聴く」姿勢

そういうことであれば、会にとって何より重要になるのはコミュニケーションであり、より正確に言えば「相手の話を聴くこと」であると思います。10名の参加者がいたとして、3時間という時間のなかでは、各人が話せるのは単純計算でひとり18分です。残りの162分は、他者の話を聴く時間ということになります。みんなが話せるためには、各人がそれくらいの時間聴いてあげる必要があるわけです。

でも人間というのは身勝手なもので、自分のことを話したがります。みんなそうだと言うつもりはありませんが、ついつい相手の話を遮って自分の話をしてしまうという人は多いでしょう。ぼく自身もそういう人間のひとりなのでしょうが、これには本当に気をつけないとなぁと思っています。誰かが話すためには、自分を含むそれ以外の人がきちんと聴くという関係性が不可欠なのです。

つまり何が言いたいかというと、「相手の話を聴く」とはどういうことなのか、自分はどういう態度で相手と接するか、ということがとても大切なのではないかということです。

「理解」「共感」とは?

それともうひとつ、理解や共感についても考えてみたいなと思うのです。ダンゴムシの会に来てくれる人は、理解や共感を求めていると思います。受け止めてくれる人がいる、思いを共有できる人がいる、という安心感を得られるだけでも、参加前と参加後でだいぶ気持ちが変わってくるでしょう。

理解や共感とはどういうものなのか、ぼくにはよく分かりません。辞書に書いてあるような定義が、誰かの役に立つわけではありません。ただ、以前アンケートで参加者の方々に聞いたのですが、「生きづらさを何とかしたい」という思いを持って会に参加する方はやはり多いようなので、生きづらさの克服とまでは言わなくても、その人のその後の人生にいい影響を与えるものであればいいのかなとは思っています。

会に(何回か)参加して話すなかで、整理できていなかった部分が整理されたり、モヤモヤしていたことが晴れていったり、自分のすべきことが見えてきたりするかもしれません。そうやって次のステップへ繋がっていくこと、ダンゴムシの会を足掛かりにして各自が一歩踏み出すこと、それこそが各参加者の人生にとって重要なことだと思うのです。得られた理解や共感が、そのようにして背中を押してくれるものであればいいなと思います。

まとめ

長々と真面目な話をしてしまいましたが、相手の話を聴くということについて、また他者への理解や共感について書いてみました。話を聴くこと、理解や共感を示すこと、それらが他者のための行為であるということを、ダンゴムシの場に限らずいつも意識しておきたいなと思う次第です。

 

お知らせ

6月会の参加希望を受け付けております。締切は23日正午です。詳細は以下をご確認ください。

dango64.hateblo.jp