石の裏のダンゴムシ

みんなの安全基地。生きづらさを感じている人のための居場所です。

「自分基準」を持つといいかも。

 

こんにちは、つっきーです。

ここ数日は雨の日が続いていて、そのせいかちょっと肌寒さを感じる気温になってますね。もう9月も下旬ですし、このまま秋らしい気候になってくれるとありがたいなぁ、なんて思ってたりします。

さて、今日のブログですが、「好きなことってなんだろう?」みたいなことについて、ふと思ったことを書いてみたいなと思います。自己肯定感が低いと陥りがち(?)な考え方にも触れてみたので、興味があればさらっと読んでください。

 

好きなことが分からない

みなさんのなかにもいらっしゃると思うんですけど、たとえば「好きなことは何ですか?」とか「趣味は何ですか?」とか聞かれて、返答に困ってしまう人もいるんじゃないかと思います。ちょっと前まで、ぼくもそうでした。自分の好きなことについて考えようにも、「何かそれっぽいのってあったかな?」って感じでした。

そもそもぼくには本当にそれっぽいものがなかったわけで、友達に誘われてベース(バンドで低音を担ってるギターみたいな形の楽器です)を始めて、ようやくそれっぽいことを見つけることができました。それまでは読書をしたり、音楽を聴いたりアニメを観たりと、ある意味コンテンツの消費のようなことしかしていなくて。もちろんそれらも好きなこと、あるいは趣味として十分認められるんですけど、ぼくは「それって好きって言えるのかなぁ」みたいに思ってました。

打ち込んだり熱中したりといった経験がないと、それを自信をもって好きだとか趣味だとか言うのはちょっと気が引けちゃったりするかもしれません。ライトな楽しみ方もあれば、ディープ(あるいはハード)な楽しみ方もあって、どっちが望ましいとかはないと思うんですけどね。「にわか」と「ガチ」の対立みたいなのもありますが、「まぁでも自分なりに楽しくやっていられるならええやん!」ってスタンスがいちばんいいんじゃないかなぁって思います。

「自分なりに」が大切

ダンゴムシに参加される方、あるいはネットの生きづらさ界隈を見聞きしてると、なんとなく感じることがあるんですよね。それが、自分なりの基準で物事を捉えられず、つい世間などの評価や基準で判断してしまいがちだということです。

「本気で取り組んでる人と比べたら・・・」とか「上手い人と比べたら・・・」とか、はたまた「これをしたって意味もないし空しいし・・・」みたいに考えてしまう傾向があると、純粋に楽しむということができないんですよね。自分が楽しいとか好きだと思えるためには、自分の基準で物事を捉えていくことが必要です。自分がどのように感じるのかということは、本来他の誰にも決められないわけですから。

たぶん、毒親など問題を抱えた家庭だったとか、集団社会のなかで他者やその場の空気あるいはルールが絶対的なものとして君臨していたとか、そういう環境に置かれたことで自分自身の感じ方の基準を手放してしまったみたいなことがあるんだと思います。相対する他人、あるいは第三者の視点や物事の捉え方が重要な場面もありますが、自分の感情までそれらに配慮する必要はないんじゃないでしょうか。

周囲が健全な状態であれば、あなたの感情はあなただけが享受するものです。まぁ暗すぎたり怒ってたりすると、周囲もついナーバスになっちゃうことはありますけど、あなたが感じたこと(感情)はあなたのもの。自分なりに楽しんだり好きになったり、自由に肯定的に捉えていくといいんじゃないでしょうか。

 

お知らせ

明日23日開催の9月会、ただいまをもって参加希望を締め切らせていただきます。どうしてもって方は至急ご連絡ください。

dango64.hateblo.jp