石の裏のダンゴムシ

みんなの安全基地。生きづらさを感じている人のための居場所です。

思いやりと温かさ。

 

こんにちは、つっきーです。

早いもので11月ももうすぐ終わり、いよいよ今年もあと1か月ちょっとになりました。ここ数日でグッと寒さを感じるようになり、そこまで必要性を感じていなかったエアコンの暖房がないといられないほどです。空気がより乾燥するので、細菌やウイルス(風邪とかインフル)には一層気を付けたいところです。

さて、今日のブログは運営雑記ということで、ふと思ったことから派生して会のことを考えてみようと思います。ぼく個人のひとつの意見・考え方を、またつらつら書いていきますね。

 

みんなで作る場所

これはぼくの性分から来るものなんですけど、一方向からの働きかけでなく双方向からの働きかけやコミュニケーションでやっていけたらいいなと感じてます。公平性や自由を尊重したいと思っているので、独断で決めてやったりするのではなく合意を形成した上で、みんなでやっていけるやり方を理想としています。

いまはぼくが会の代表ということになっていて、さらにぼくを含めた運営メンバーがいてという形になってるんですけど、こちらから働きかけるばかりではなかなか難しいなと感じることも多いです。元々ぼくは引っ張っていくタイプではないですし、言い出しっぺになって巻き込んでいく強引さもないので、そういう形で積極的に働きかけるというのが得意じゃないんですよね。

ぼくもいつまでダンゴムシに関われるか分からないですし、仕事を始めたりしたら忙しくて参加できないこともあるかもしれません。もちろん、そのときは運営メンバーなどを中心に変わりなくやるんだと思うんですけど、いずれにしても「あの人は必ずいる」というのがなくても問題なく回っていくようになったらと思うんです。

そのためにもゲスト的な立場でいるだけでなく、ホストのひとりという感覚で会に能動的に参加してもらいたいですし、話を聴いたりしてあげてほしいんです。生きづらさを抱えている人のための会だから、初参加の人もゲストであると同時に大切な仲間だったりします。居心地が良く安心を感じられる場所には、そういう認識と思いやりが欠かせないんだろうなってぼくは思います。

寄り添うこと

話が変わりまして。先日ふと、「『いま苦しい理由』と『明日苦しい(はずだという)理由』はまったく同じものなのだろうか?」という考えが湧いてきて、それと同時に自分自身の人生に対する態度が生きづらさ、あるいは苦しいとかつらいといった心情に強く影響してくるのではないかと思いました。

会で参加者のみなさんの話を聴くとき、「過去にこういうことがあって」「こういう家庭環境で育って」といった話になり、どうしてもそういった過去(これまで)の話に意識が向いてしまうんですよね。そのおかげでこちらも「なるほど、だからいま苦しいんですね」とある程度理解できるようになります。

でもたとえば、「明日もきっと苦しいよね」なんて言えないと思うんです。仮にその可能性を排除できなくても、「明日はちょっとでも楽になるといいね」というスタンスが大切なのではないかと思うんです。今日ここで話したことがささやかな一歩になってくれたらと思いますし、「明日の自分はきっと今日とはちょっと違うぞ」みたいな希望が持てたら、なんか前向きで良いじゃないですか。

ポジティブが良いとかネガティブが悪いとかではなくて、すこしでも楽しく生きられるようになって自分が嬉しいなら、それで良いと思うんです。これまでつらいことばかりだったけど楽しく(あるいは穏やかに)生きようと思うことだって素敵なことですから。ダンゴムシもそういう人々の歩みに、すこしばかりでも寄り添える場所であったら良いのかなって、ぼくは個人的にそう思いました。

 

お知らせ

明日25日開催の11月会、ただいまをもって参加希望を締め切らせていただきます。どうしてもって方は至急ご連絡ください。

dango64.hateblo.jp