石の裏のダンゴムシ

みんなの安全基地。生きづらさを感じている人のための居場所です。

会話ってやっぱり難しい。

 

こんにちは、つっきーです。

まだ朝晩は寒いですが、日中は暖かさを感じる日も増えてきた気がしますね。花粉が飛び始めてたとか聞くので、花粉症の方にとってはつらい時季なんでしょうか。花粉症じゃないのでぼくはよく分からないのですが(汗)

さて、今日のブログは予定を変更してひとりごとです。ざっくり言えば「会話って難しいよね」ってお話です。このエントリの最後にも書きましたが、今月の会は31日開催です。告知は来週します。

 

話を聴く

これはブログやツイッターでもちょこちょこ取り上げてる話題なんですけど、話を聴くというのは実はなかなかに難しいことだよなぁって思うわけです。「聞く」と「聴く」は違うとはよく言われますよね。でも「聴く」を実践してる(できる)人って、どれだけいるんだろうなぁと思わなくもないわけです。

もちろん日常生活においては、そこまで慎重にならなくていいと思います。雑談、とりわけ他愛のない些末なことを並べて、それを好き勝手に話せれば満足するってこともままある気がしますし。「聴く」には相手の話に耳を傾けるために、自分自身を抑制することを自らに課さないといけません。これが案外難しいんですね。

「自分が話したい」という欲求は想像以上に強力です。相手の話のなかに自分が話を展開しやすい話題を見つけて、自分の思惑を乗っけて話してしまいます。本人が言いたかったのは、掬い取ってほしかったのはそこではない(かもしれない)にもかかわらず、自分にとって都合のいい部分を切り取ってしまうんです。

想像する

相手が言いたかったこと、言葉の行間や裏側にある思いは何なのか。話を聴くにあたっては、そういったところまで意識して聴くのが理想なんだろうなと思います。ここで理想と言ってるのは、それこそそう簡単にできることではないし、できたとしても正しくそれらを把握することは一層難しいからです。

これをやるためには、相手をよく観察して想像力を働かせる必要があるでしょう。その人が言ってることだけでなく、言わなかったことも考慮する。たとえば「生きてるのがつらい」とは言っても「死にたい」「生まれなければよかった」とは言わなかったとか。「仕事がきつい」とは言っても「辞めたい」とは言わなかったとか。

もちろん、表現としてきついから避けた可能性はあります。でも言わなかったということは、根底にある思いは「前向きに生きたい」とか「きつい部分以外は結構気に入ってる」といった、肯定的なものかもしれないわけです。そういう微妙なニュアンスやテンションの違いが、価値観あるいは感覚的な相違となるわけですね。

思いやる

こうやって文章にしてみると、やっぱりめちゃくちゃ難しいなって感じますよね。ひとは「自分はうまく会話できてる」と思ってしまいがちだし、なによりそう思いたい。そんな細かい自分の言動にまで神経を使いたくないと、脳(身体)が拒絶反応を起こすわけです。

ぼくたちの言動には大なり小なりそういう身勝手さが入り込んでしまうわけで、それをどれだけ意識して取り除けるかが、他者ときちんと向き合う上では重要だと思うのです。それは言ってしまえば、思いやるということだと思います。めんどくさがらず、意識してやってみようとする心掛けが、思いやりの第一歩なんだろうなって思います。

 

お知らせ

今月(3月)のダンゴムシですが、31日(日)に開催することとなりました。各社予想によると桜の見頃時期とほぼ重なるのかなってタイミングなので、天候が良ければお花見を兼ねて屋外でやりたいと思います。具体的な場所などは現在検討中なので、告知は来週します。よろしくお願いします。