石の裏のダンゴムシ

みんなの安全基地。生きづらさを感じている人のための居場所です。

「自分に似てる」って感覚の話。

 

こんにちは、つっきーです。

なんだか昨日から、(すくなくとも関東は)グッと暑くなりましたね。昨日は全国の174地点で真夏日になったそうですし、今日から明後日にかけては猛暑日になるところがあるかもって話もあるそうです。体調管理をしっかりしないとですね。

さて、今日のブログはひとりごとということで、ぼくが何気なく思ったことをつらつらと書いてみたいと思います。今日は「価値観とか感覚が似てるって実際どうなんだろうね」って話です。

 

誰とも似てない(らしい)

いきなりぼく自身の話で恐縮なんですけど、ぼくはよく「つっきーさんに(性格的に)似てる人って周りにいないかも」とか、「つっきーさんみたいな人に会ったことないなぁ」とか、そんなことを言われます。言われてみるとたしかに、「この人、自分と似てる!」とぼく自身が感じた人はこれまでいなかったかもしれません。

別に「自分はオンリーワンな存在だ~」なんて偉そうなことを考えているわけではなくて、おおざっぱにマジョリティとマイノリティがあるとしても、そのなかでもみんなちょっとずつ違ってるわけですよね。ぼくはそれが当たり前だと思ってるので、似てるとか同じだとかってことには期待しないし、そもそもそういう視点で他者を識別したりはしてません。自分に似てるかどうかって着眼点を持ってなかったことに、つい最近気づいたわけです。

似てる人を求める人

人間って基本的に自分と似てる人を好きになるみたいですよね。特にこれが恋人だとか夫婦だとか、そういう関係にあるふたりにおいて当てはまるというのはよく聞きます。まぁその方が圧倒的に楽だろうし、そういう関係性においては非常に合理的な選択だと思います。

でも、そういう親密な、人生の長い時間を共に歩むような相手ならまだしも、そこまでじゃない交流において「自分と似てる人」を求めるのはいかがなものなのだろう、という疑問もあったりします。ことさらSNSが普及した今日においては、わりと容易に価値観などが似てる(と思う)人が見つけやすいぶん、そういう他者を求める欲求は強くなってたりするのかもしれません。

もちろん、これを一概に悪いと言うつもりはないですよ。ただ、似たような価値観の人を周りに並べることで、より頑なに特定の価値観にのめり込む(固執する、信奉する)ことがあるとするなら、それは本当に良いことなのかなぁという気はするわけです。

似てるから好き/違うから嫌い

なかでもいちばん良くないんじゃないかなぁと思うのは、自分と似てるか似てないかで接し方を分けるようになること。似てれば親しくしたいと思い、似てなければ興味がない、なんてことになると人付き合いの幅が狭まります。そしてなにより、そうやって無意識に「人を選んでる」ということを認識することは重要な気がしてます。

人間観察が得意だと自負してるぼく(嫌な奴ですね←)が見るに、学校の教室内をはじめあらゆる集団に当てはまることとして、仲良しグループの発生やグループ同士の対立というのは「あいつは自分と似てないから、自分はあいつに与しない」「あいつは自分を嫌ってる、だから嫌い」という姿勢から生じてる気がするのです。

人間関係において特に問題を抱えたことがない(と自分で思ってる)ぼくですが、結局のところぼくは特にどこにも属さない中立的なポジションにいました。そういう集団のなかでのポジションに加え、マイペースかつ我が道を行く性格もあって、あまり似てる人がいないのかもしれません。これは自分に似てる人/近い人を仲間にしたがる人には、ちょっと考えられないことかもしれませんけどね。

まぁともかく、物事の捉え方や考え方、自分と異なる要素を持つ人を受け入れる柔軟な姿勢を持つことは、人間関係にプラスに働くんじゃないかなぁと思うわけです。自分を正当化するばかりに自分と異なるものを否定していないか、その辺に気をつけてみると良いんじゃないかなぁなんてことを思った次第です。

 

お知らせ

明日26日開催の5月会、ただいまをもって参加希望を締め切らせていただきます。「ちょっと待って、参加したいです!」って方は至急ご連絡ください。

dango64.hateblo.jp