石の裏のダンゴムシ

みんなの安全基地。生きづらさを感じている人のための居場所です。

単純化すると間違えがち。

 

こんにちは、つっきーです。

先日は新潟・山形で大きな地震がありましたね。東日本大震災以降、地震が多くなった気がするのは気のせいでしょうか。いつどこで起こるか分からないので、本当に気をつけて備えておく必要があるなぁと痛感しました。

さてさて、今日のブログですが、前回に引き続きひとりごとです。要らんことをいろいろと考えたりしたので、ブログのネタに書いてみようというわけです。軽く流し読みしていただけるだけで充分です(笑)

 

自分がいちばん分かってる病

いろいろな主張を見聞きしてると、人は自分の置かれた立場から見たものがこの世の真実だと信じ込みがちなように感じます。たとえば自分がつらくて苦しい経験をしてくると、この世界は残酷で人生というのは苦悩で満ちたものだ、という方向に拡大解釈をしてしまったりします。

別にそういうネガティブな人に限った話ではなくて、無駄にポジティブな人とか、押しつけがましく綺麗事を並べる偽善者っぽい人も同様です。まるで他の考え方を聞き入れよう理解しようと思うことさえなかったりします。自分の考えだけベラベラ喋って、相手が喋るときには共感を伴わない相槌をして、また自分の話をするというコミュニケーションをしがちなようにも感じます。

その人はそれで満足なんだろうし、下手に自分の考えに影響を及ぼされることもなく、自分の信じたいことを信じていられるからある意味平和でいられます。これを悪いと言うつもりはないけれど、「本当にそれで良いのか?」と思うところではあります。もちろんぼく自身もまたそういう人間なんだろうと思うと、なんだか嫌な気持ちになってしまいます(苦笑)

安直な綺麗事は思いやりに欠ける

先日、とあるツイートを見かけて、それについて考える機会がありました。内容をざっくり言えば、「精神的に安定した人と付き合った方が良い(得だ)よね!」という主張に対し、「そういう損得勘定で他者を差別して付き合うとは何事か!」と主張してるツイートだったんですね。

ぼくが考えたことの詳細については会のアカウントでツイートしたので割愛しますが、安直な考えに基づいた綺麗事というのは思慮が足りてなかったりする気がします。どことなく良い感じではあるけれど、どこか軽薄な感じがしてしまうのです。ただのポジティブ思考も同様です。悪いとは言わないけどやはり完全ではないでしょう。ただのネガティブ思考もまた同様です。

上述の1個目の内容とつながるわけですけど、自分の意見を持つとか、持つために考えるというのは良いことでしょう。でも特定の見方に偏ったり、安直に結論づけてしまうのはやはりちょっと危険なのかなって思うのです。「自分は正しいんや!いちばん分かってるんや!」と思ってしまったら、可能な限りニュートラルな状態にして検証してみることが大切なんじゃないかなぁと考えた次第です。

 

お知らせ

明日23日開催の6月会、ただいまをもって参加希望を締め切らせていただきます。「ちょっと待って、参加したいです!」って方は至急ご連絡ください。

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