石の裏のダンゴムシ

みんなの安全基地。生きづらさを感じている人のための居場所です。

外に関心を向けること、他人と心でふれ合うこと。

 

明日は13時からダンゴムシの会があります。今回も10名(うち初参加1名)が参加する予定です。

「時間厳守でお願いします」と釘を刺され、もちろん寝坊しないようにするつもり(いつもそのつもりではいるのです)ですが、内心「起きてみないと分からないんだよなぁ」と思っていたりもする、そんなダンゴムシ前日のつっきーです。(苦笑)

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さて今日は、先日図書館で借りて読んでみた本を、ご紹介しようと思います。加藤諦三『なぜ、あの人は自分のことしか考えられないのか ― 「ナルシシスト」という病』(三笠書房という本です。

私は同氏の著書を初めて手に取ったのですが、心理や精神分析といったジャンルの著作も多く執筆されているようで、生きづらさを抱えている方のなかには、実際に同氏の著書を読んだことがあるという方もいらっしゃるかもしれませんね。初めて知ったという方は、もしこのエントリで興味を持たれたら本書に限らず、同氏の著書を読んでみると勉強になるかもしれません。ということでさっそく本書の内容に入っていきたいと思うのですが、「ナルシスト」(以下、本書に合わせて「ナルシシスト」とします)について、みなさんが抱くイメージとはだいぶ異なるのではないかと思います。その辺も注目してみてください。

 

ナルシシストは生きづらい

ナルシシズムは自己を愛することでなく、自己を救ってくれという孤独の叫びである。 (p.148)

心の底では孤独で自分に自信がない、それどころか誰よりも自分に絶望していて自己蔑視している、空虚感や劣等感が深刻で自分が相手にどのような印象を与えているか心配で仕方がない、etc…

本書において著者が指摘するには、ナルシシストはものすごく生きづらい。苦しくて苦しくて仕方がないんです。そんな自分の心の苦しみ、言い換えればそんな自分自身にとらわれてしまった結果、意識が自分自身に集中しているわけです。

自分に自信がなく、それどころか自己蔑視しているため、他人からの同情・共感・称賛しか支えになるもの(つまり、心のよりどころ)がないのですが、周囲の人々は構ってくれないし、なかなか望むように自分の存在を認めてもくれません。そのため「誰も自分のこの苦しみを分かってくれない!」と嘆くのですが、それを吐き出さずにはいられないため、自己憐憫や被害者意識、悲観主義といった形で表現されるのだそうです。尤も、他人から称賛等をどれだけ受け取っても目的は達成されないというジレンマを抱えています。

ナルシシストの度合いが強くなると、悩みを訴えるばかりで解決する意志はなく、誰かに解決してもらおうとするのですが、意見や提案をされてそれが気に入らないと「生き方を否定された」としてその人を憎み嫌ったりするようです。自分を認めてほしい(もしくは認められないのが怖い)という心理が、より過激で攻撃性を伴ったものになってしまうわけですね。

かなり端折った説明なので分かりにくいと思いますが、要するにここで言うナルシシストとは、自分で苦しみから抜け出すことができず、でも救ってくれる「誰か」「何か」もない、そんな状況のなかでとにかく苦しんでいる人なのです。

 

ナルシシストであるのには理由がある

ナルシシストは幼児期から自分で自分を守らなければならなかったのである。誰も自分を守ってくれる人がいなかったから、そして子どもの知恵で自分を守る習慣がついたから、間違った守り方しかできなくなっているのである。 (p.191)

さて、ここまでナルシシストとはどんな人なのか、その性格や特徴をおおまかに説明してきましたが、そんなナルシシストが生まれる経緯について、著者は幼少期の家庭環境が関係していると言います。

例えば、そもそも親がナルシシストであれば、その子はナルシシストになることがあります。親の心が自分のことで精一杯であれば、子どもに対する関心はどうしても希薄になってしまいます。結果、その子どもは成長するにあたって必要な承認欲求の充足を得ることなく、成長してもその欲求を解消できずに抱えていくことになります。自分がいかに辛いかといった愚痴ばかり聞かされるなんてことは結構ありそうですが、それもまた本書でいう「ナルシシストの再生産」に繋がります。また干渉や支配、そして暴力といったものがあるなかで育てば、子どもはそれを愛情や関心だと誤解し、関心を「干渉されている」と感じるため避けたいと思うようになり、親しくなることや近さが耐えられなくなると言います。

幼い頃から、親といった周囲の重要な人から「現実の自分」を受け入れてもらえなかったことで、間違った態度を身につけてしまった。それがいま(大人になって)「現実の自分」を受け入れられない理由である、と著者は述べています。ナルシシストであるのにはこのようなちゃんとした理由・背景があるので、自分を責めることなく、まずこの事実を受け止めて新しい人間観(人間と接する力)を形成していきましょう、とのことです。

 

ナルシシズムから抜け出す方法

最大の問題は、いかにして自己愛からのエネルギーを解放するか、いかにして自分に巻きついている意識を、対象に向けて投げ出せるか、ということである。 (p.200)

ナルシシズムを解消するために大切なのは、まず自分がナルシシストであるという認識だと言います。そして次に、そのナルシシストである自分を責めないこと。上述しましたが、自分がナルシシストであるのにはちゃんと理由があるのです。だから自分のなかのナルシシズムを認めて自分を肯定する。ナルシシズムを克服し自分を信じて生きないかぎり、その人は永遠に孤独で傷つきやすいのだそうです。自分を信じて生き始めるには、自分の心の底にある絶望感と向き合わなければいけません。勇気を持ってその絶望感と自分に向き合うこと。それが第一歩です。

また具体的な方策としては、まずとにかく紙に書き出してみること。苦しいことや周囲には言えない本音なんかを書き出すわけです。ここであえて「書く」ことをおすすめしているのは、誰かに「話す」だと印象や評価を気にして話せないだろうからということで、とにかく誰にも言えない本心を書き出すということが挙げられています。それとこれはすこしスピリチュアルな気もするのですが、なるべく自然に触れること。自分の世界に閉じこもらず、風や空気を感じて四季を、さらには悠久な時間の流れを感じることで、意識を外(自然)と繋げることも大切なのだそうです。

この意識を外側へ向けるということ、これがいちばんのポイントなのだと思います。著者は本書のなかでナルシシズムを、成長の敵、自分自身であろうとすることの最大の障害、幸せになる最大の障害、と述べています。また東洋でいう「無」、西欧でいう「自由」とは自己愛からのエネルギーの解放であるとも言っています。これまでナルシシズムで自分に向いていた意識・エネルギーを別のところへ向ける。興味のあるものや他者への愛などなど、自らの情熱を注ぐ対象を自分の外側に見つけるわけです。そのようにして自己実現へと自分のエネルギーを向けることで人間は幸福になる。それが著者の主張でした。

 

いかがだったでしょうか。著者の主張・意図を正しくお伝えできていれば嬉しいのですが、だいぶ無理矢理まとめてみた感じなので自信はないです。ここに書けなかった有益な指摘・示唆等も多々ありますので、ぜひとも実際に本書を手に取っていただくとよろしいと思います。それでは最後に、印象的だった部分を3つほど引用して終わります。

問題は自信がもてないことじたいではない。自信がもてないことをここまでおおごとにするパーソナリティーである。 (p.174)

心のふれ合いが生きる土台である。心が強い人というのは生きる土台をもっている人である。心が弱い人というのは生きる土台のない人である。 (p.26)

生きることは、「信じることができる」ことと「好きなものがわかる」ことである。
不幸とはこの二つがないことである。 (p.186)

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【お知らせ】

明日4月23日(日)のダンゴムシの会、参加希望は本日(22日)18時で締め切らせていただきます。参加希望の方はお早めにご連絡ください。

dango64.hateblo.jp

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以上、つっきーでした。
それでは次回更新をお楽しみに。

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