期待と現状、そして理想。
こんにちは、つっきーです。
連日、オリンピックが盛り上がっていますね。ぼくなんかよりずっと若い人たちが活躍していたりもして、どこか遠くの世界の出来事であるかのように、ただただ「すごいなぁ」とか思っています。
さて、今日は運営雑記です。いやぁ、他者の何気ない言葉で気づかされたり考えさせられたりすることって、結構多いですよねぇ。というわけで、わりと真面目なことを書きます。笑
ダンゴムシの会への期待
もう1ヶ月近く前になってしまうのですが、peing質問箱にこのようなコメントをいただいて、このように回答しました。
仰るとおりだと思います。究極的に、生きていく勇気や希望は自分の中に見出すもの、自分の人生は自分だけのものです。他者がしてあげられることには限界があります。その限界が当会ができることの限界でもあります。 #peing #質問箱 https://t.co/nR3njDlxhA pic.twitter.com/3hh6xZ3G74
— 石の裏のダンゴムシ@生きづらさ (@dangomushi_14) 2018年1月28日
ダンゴムシの会は、生きづらさを抱える人たちが集まって語り合う場所です。でもそれだけで本当にいいのだろうか、みたいなことは以前から話には出ていたんですよね。生きづらさをただ話すだけでなく、克服に向けた取り組みもすべきなのではってことです。
参加者のみなさんがどのような期待をもって参加しているのか、それは人それぞれ違っていると思います。会の現状としては、会話を通してすこしでも気持ちが楽になってくれればいいな、みたいな感じです。だから生きづらさを克服したいという人にとって、ダンゴムシの会に物足りなさを感じるってこともあると思います。
ダンゴムシの会と生きづらさの克服
生きづらさの克服に向けた何らかの取り組みができていないのには、大きく2つの理由があります。1つめは、先ほども書いたように、会に期待することが参加者それぞれで異なっているということです。そして2つめは、生きづらさを克服するということ自体が難しく、試行錯誤が不可欠であるということです。
まず1点目。会に期待することがそれぞれ異なるというのは、生きづらさを克服したいという人もいれば、(克服は不可能だろうということで)話して気持ちが楽になればいいという人もいるということです。月に1回の集まり、多くても10人程度の参加者、そのような限られた時間と人手では、会として多様なニーズに応えるのはなかなか難しいというのが正直なところです。
そして2点目。生きづらさを克服するにあたって、自分たちで試行錯誤するしかないという現実があります。ダンゴムシの会には、生きづらさを抱える当事者はいますが、有益な助言や知識を与えてくれるような専門家はいません。だから自分たちで勉強したりした上で、意見や情報を交換して考えていかないといけません。どうしてもそういう主体的な行動が必要になるわけですが、それは一人ひとりの意思に依るところです。
とまぁそんなわけで、ダンゴムシの会として生きづらさの克服に向けた取り組みをするのは、現状難しいのです。願わくば、ダンゴムシの会から派生して、生きづらさの克服に向けて取り組む人たちのグループができたらいいなと思っています。もしくはダンゴムシの会の体裁はそのままに、開催を月2回とかにして、そういう取り組みをするのもありです。ぼく個人としては、そのような動きがあれば可能な限りサポートしたいなと思っています。
会の内容以上に大切にしたいこと
最後に1つだけ。個人的に思っていることなのですが、ダンゴムシの会が、来る人を暖かく迎えてあげられる場所であったらいいなと思っています。
これまで書いたように、合う・合わない、満足・不満足といった感じで、会への評価や印象はそれぞれ違うでしょう。実際、至らないところがあるのは事実です。でもそれはそれとして、暖かく迎えてあげられる場所であったらなと思うわけです。
生きづらさを抱えて生活している人が、ふとしたときに頼れる場所。頑張って飛び出して傷ついて戻ってきたときに、傷を癒して再び立ち上がる勇気をくれるような場所。会の内容みたいなものはさておき、ダンゴムシの会がそんな場所であったら素敵だなと思っています。
お知らせ
明日開催のダンゴムシ、ただいまをもって参加希望を締め切らせていただこうと思います。参加希望の方がいらっしゃれば、至急ご連絡いただけると幸いです。