石の裏のダンゴムシ

みんなの安全基地。生きづらさを感じている人のための居場所です。

頑なさは自分を苦しめる説

 

こんにちは、つっきーです。

先日美容室で髪の毛を切ったのですが、大して真面目にやってもいないのに「就活もしてるので」と言ったらかなり短めになってしまい、これからは言わない方向でいこうかなと思いました。以上、近況報告。笑

さて、今日のブログはひとりごとというわけで、生きづらさ関連のこともちょっと含めて、ゆるくテキトーに書いてみようと思います(と思ったらわりと真面目な感じになりました)。

 

ダンゴムシの質問箱

知ってる方もいると思うんですけど、一応ダンゴムシの会でも質問箱やってます。なんだか最近は毎日のように質問箱に質問が来ていて、まぁ生きづらさとか会のこととは関係ない話題のことが多いんですけど、「さーて今日はどんな質問が来てるかなぁ?」なんて思いながら確認するのが日課になってます。

詮索するつもりはまったくないんですけど、たぶん生きづらさとか会とかとは関係ない内容の質問をしてくる方は同一人物なんだろうなぁと思ってたりします。いつも朝の決まった時間帯に質問が来ているので、たぶんその時間は仕事あるいは授業の前や休憩時間などで暇だったりするのかもしれません。いつもありがとうございます。笑

たくさん来すぎると、今度は返答するのが大変になっちゃうわけですけど、みなさんももし興味があればお気軽に質問箱までメッセージくださいね。

石の裏のダンゴムシ@生きづらさの質問箱です | Peing -質問箱-

可能性を認めると自由になれる気がする

話は変わりまして、最近考えたことをすこし。すっごく当たり前のことなんですけど、ふと何事も物は言いよう考えようだよなぁと思ったんですよね。きっとこれは、ほとんどの人が共感・賛同してくれると思うんですけど。

それで「人々はどうして、それぞれにこんなに違う考え方をするのだろう?」とか思いを巡らせてみると、それぞれに主義・主張があったりして。「ああいう考え方は嫌い」みたいな感じで、自分とは異なる考え方をつい否定してしまったりもしますが、先入観を排除して一度それを受け止めてみると強ち間違いとも言えなかったりするものです。

ひとって、なにかと「AかBか」「0か1か」みたいにして、単純な二者択一で物事を理解したり決着をつけたりしたがるような気がします。世界は、物事は、複雑で分かりにくい。だけど、(どういうわけか)分かったつもりになりたい。だからきっと、そうやってすごく単純な図式にして考えたがるんだと思います。

えっと、それでなにが言いたいのかというと、可能性を勝手に消してしまわないのが大切なんじゃないかってことです。生きづらさを抱える方々の声を見聞きしてると、中には「幸せになれないのは決まってる」みたいなことを言う方もいます。その方にとってはそうなることは確定事項、揺るぎのない事実であるようで、幸せになるかもしれない可能性についてものすごく懐疑的で、「それはありえない」と判定したがる傾向があるように感じます。そういうのを見聞きすると、余計なお世話であることを重々承知しつつ、それでもやっぱり「ちょっと待って!」と言いたくなってしまいます。

ぼくはニートして呑気に過ごして(しまって)ますけど、「何が正解か分かんねぇ」「どうなるかなんて分かんねぇ」「でも、だからこそひょっとしたら・・・」と思いながら生きてます。そりゃ分かんないと不安にもなりますけど、でも分かんないからこそ可能性を感じ期待することもできるんじゃないかと思うんです。いろんな考え方や選択肢を考慮していくと、結果的に「分かんねぇ」に辿り着くことは多い気がします。ぼくの考えが浅薄なだけかもしれませんけど。というか可能性を広げていくためにも、自分の人生について能動的アクションをしていくことも大切なんでしょうけど。

というわけで、変に決めつけて可能性を自らの手で潰して狭めてしまうよりは、「分かんねぇ」と向き合って不安と同時に期待をも抱くような状態の方が、実はちょっとだけでもマシなのではないかというお話でした。