石の裏のダンゴムシ

みんなの安全基地。生きづらさを感じている人のための居場所です。

無自覚なまま同調圧力を生むこと。

 

こんにちは、つっきーです。

12月もついに半分が終わるところです。来週末は今年最後のダンゴムシ、クリスマス会が控えてます。このブログも、今年の更新はこのエントリを含めてあと3回となりますので(うち1回はクリスマス会のレポートの予定です)、今回と次回の告知・報告じゃないエントリもしっかりやりたいと思ってます。笑

というわけで、今日のブログはひとりごとを書きたいと思います。「同調圧力」なんてワードを使うとそれっぽくなっちゃう気がするんですけど、「同調圧力怖い」「同調圧力に屈するな」みたいな話ではありませんってことを、先にお伝えしておきます。。。

 

同調圧力は悪」も認識されてきた

同調圧力』というワードを聞くと、反射的に「好かん!」「おかしい!」「悪しき風潮だ!」といった反応をしてしまう方も、少なくないのではないでしょうか。生きづらさを感じてるのであれば、特にそのような方は多いでしょう。それでなくとも「同調圧力」は基本的に悪い意味で捉えられることが多いように思います。

ぼくも同調圧力とか苦手です。まぁ圧力を受けると気分が害されるというか、なんかこうカチンときて徹底的に反発するような性質なので、圧力に屈することはないんですけどね。それはそれである意味健全なんでしょうけど、当然面白くないと思う人たちもいるわけなので、結果的にそうすることがプラスなのかマイナスなのかはよく分かりません。

無自覚に同調圧力をかけてる可能性

さてさて、ここでちょっと見方を変えてみたいと思います。一般的に言われてるのは、あるいは認識されてるのは、「同調圧力を受けるのは嫌だ/おかしい」という被害者側から見た場合の意見であるようにも思うんです。つまり自分自身を常に同調圧力を受ける側に置いて語ってるのではないか、という疑念です。自分自身がまさに同調圧力をかける側にいる場合をも、想定してみる必要があるのではないかという気がするんです。

何でもそうだと思うんですけど、「~するのは悪いこと/間違いだ!」みたいに言うとき、人間ってついつい自分を~しない側に置いて語りがちなんですよね。そうやって声高に正義を振りかざしておきながら、無自覚のうちに自分自身がそれを(ときには他者に向けて)してしまうことって結構あると思います。

同調は価値観や願望の押し付け

そんなわけで、同調って何だろうなって考えてみたときに、ぼく的にしっくりくるのが『価値観や願望の押し付け』という解釈だったりします。別にこれ、世間一般的に常識と言われてるものとかじゃなくても良いんです。自分が間違ってると思いたくない人とか、傷つくのが怖い人なんかがとる高圧的あるいは強硬的な態度もまた、その場を支配しようとする同調圧力を帯びてる可能性が、十分にあると思うんです。

どんな集団にも、そうやって同調圧力を持ち込む(持ち込んでしまう)人がいるのかもしれません。ある集団内の同調圧力に反発して飛び出しながら、新たな集団の中で同調圧力をかけてしまうとか、そういったことは十分に考えられます。というか現に、そのような話を聞いたこともあります。

たぶん、みんな違うということ、似たような価値観・立場・状況などにあったとしても感じ方や考え方は違うんだということを肝に銘じて、相手(他者)と向き合わなければならないんだと思います。「あなたと違うわたし」を認め、「わたしと違うあなた」を認めて、価値観や願望などを押し付けコントロールしようとする自分を制すこと。このような一人ひとりの取り組みが、とても重要なのではないかなと思いました。

 

お知らせ

23日開催予定のクリスマス会ですが、参加希望者が想定していた人数の上限に達したため、誠に勝手ながら参加希望の受付を中断させていただきます。キャンセルなどで人数に空きができましたら、Twitterおよび下記エントリ内にてお知らせします。よろしくお願いします。

dango64.hateblo.jp