自覚なき無神経さ。
こんにちは、つっきーです。
3月も終わりに近づいて、卒業式なんかもだいたい終わって、新しい学年なり生活がはじまるのを待つばかりって感じの時期ですね。コートが不要なくらいに暖かい日も増えて、桜も開花したとのことですし、いよいよ春っぽくなってきました。
さて、今日のブログはひとりごとです。出だしとは裏腹に、ぼく個人はいろいろあってすこし鬱々とした気分だったりします。そんないま感じていることを、ちょっと書いてみようと思います。
驚くべき「無神経さ」
両親と話さなければならない要件があって、最近いろいろと考えていました。考えがまとまったので話したのですが、まったくと言っていいくらい相手にされず、嫌になって昨日も電話の途中で切ってしまいました。
まぁ、こうなることは薄々予想していたのです。でも今まで以上に、自分の中では確固とした思いと考えがあったので、ひょっとしたらなんて甘い期待を抱いていたのです。残念ながら、そんな甘い期待は見事に叶わなかったわけですが。
両親の意見は、矛盾を多く含んでいる上に結論ありきで、こちらの声など「ちゃんと聞いてるよ」と言いながらまるで聞いてません。「もっと現実的に考えろ」なんて言うくせに、現実的な側面をまったく考慮していない内容を語るのです。指摘したところで、言い訳して逃れては開き直る図太さを持っているので、まるで話になりません。
そもそも、現実的かどうかなど問題ではないのです。自分に許容できる内容でない限り受け入れないことを、現実性なんてものを持ち出してきて誤魔化しているのです。無意識のうちにそれをやってのけ、まったくそれに気づかないのですから恐れ入ります。
ぼくが言うのもアレですが、親に見えているのは、どこかで見聞きした綺麗事あるいは立派そうな考え方と、自分自身の経験を繋ぎ合わせた世界のようです。そしてそこにあるのは、繊細な人間のことなど考えていない強引さと無神経さです。
絶望的な「自覚のなさ」
そんな自分の姿勢に気づいておらず、「あなたのために親として正しいことを言っている」と信じて疑っていないようです。あくまでも自分たちのそれは優しさであり、親が子どもを想う尊い気持ちであると、そう感じているようです。
これまた無神経なことに、「話してくれないと分かり合えない」と言われました。ぼくはそのとき唖然としてしまいました。まだ話の途中なのに、「でも~だろう。だから~すべきだ。」とすぐに押し付けてきて、話を最後まで聞こうとしないくせに、何を言ってるんだと。
正直なところ、ぼくは分かり合えるとは思ってません。「自分は悪者で、これは自分の身勝手なのではないか?」と自分自身を疑えないような人を信頼できません。自分を疑うとヒステリックになるような、そういう都合の良さにも腹が立ちます。
愚痴っぽくなってしまいましたね。まぁでも今回は重要な要件なので、まったく話さないわけにもいきません。仕方ないので、文章でやり取りすることにしました。どちらにせよ憂鬱な気分です。頑張ります。
お知らせ
31日(日)開催の3月会、参加希望を受け付けております。(天候が良ければですが)お花見を兼ねての開催です。参加希望の方は以下を参照の上、30日(土)正午までにご連絡ください。